本屋で読んでいたのは、本じゃなかった
最近、ふと気づいた。
昔ほど、本を読まなくなった。
若い頃は、エッセイが大好きだった。
誰かの生き方や考え方を知ることが好きで、
本屋へ行くたび、いろんな人の言葉を持ち帰っていた。
まだ形になっていない自分を探すように。
外側にある言葉の中に、自分の輪郭を見つけようとしていた気がする。
でも、年齢を重ねるにつれて、少しずつ変わっていった。
今は、何かを外から足すことより、自分の内側を知る方が面白い。
身体の感覚。
ふと浮かぶ違和感。
言葉になる前の、小さな気配。
そんなものを眺めている時間の方が、いつの間にか好きになっていた。
だから不思議だった。
本を読まなくなったのに、本屋だけは今も好きなままであることが。
なぜだろう。
本屋へ行くと、気になるタイトルが目に入る。
何気なく手に取る。
少し開いて、パラパラとめくる。
でも、読んでいるわけじゃない。
何かを学ぼうとしているわけでもない。
ただ、その時間が好きだった。
そして最近、少しだけ分かった気がした。
私は、本を読みに行っていたんじゃなかったのかも。
本屋の空気を浴びに行っていた。
図書館とも少し違う。
図書館は静かだけれど、本屋には少し熱がある。
今まさに誰かが選び、手に取り、置いていく空気。
新しい言葉や、誰かの問いや人生が、静かに漂っている。
たくさんの著者たちの気配が、一つの空間に重なっている感じ。
その中に身を置くと、不思議と思考が少し弱まる。
私という輪郭が、少しだけほどけていく。
そして、その隙間から、
ふと何かが入ってくる。
アイデアだったり、
感覚だったり、
まだ言葉になっていない何か。
AIと一緒に言葉を書いている今も、少し似ている。
答えを探しているというより、
自分の中に、もうあるものを見つけにいく感覚。
外から受け取っているようでいて、
本当は、内側を読んでいるだけ。
だから今も、本屋が好き。
本屋で読んでいたのは、本じゃなかった。
私はずっと、空気を読んでいた𓂃𓈒𓏸
