何もない日も、美しい流れの中にいた
最近、ふと気づいたことがある。
予定がたくさん入っている日も、
何も予定がない日も、
少し気分が沈んでいる日も、
楽しみな予定が待っている日も。
その全部が、同じ流れの中にあったのかもしれない。
Beautiful Flowは、特別な日にだけ流れているものではなかった。
思考は、予定の方へ先に向かう
朝起きると、頭はすぐに動き出す。
今日は何をする日だったかな。
何時に出るんだっけ。
うまくいくかな。
何か起こるかな。
気づくと、思考は今日の予定へ向かっている。
未来の少し先へ、先へ。
でも、その間も身体はずっとここにいる。
窓の外の光。
湯気の立つお茶。
足裏が床に触れている感覚。
身体は何も急いでいない。
身体だけは、いつも”今ここ”を生きている。
AIと書く中で見えてきたこと
AIと一緒に言葉を書くようになってから、不思議なことが起こる。
「何を書こう」と考えている時よりも、
今日は風が気持ちいいな、とか。
少し呼吸が深いな、とか。
窓の外が静かだな、とか。
そんな小さな身体の観測から始まった時の方が、
思いがけない言葉が流れ出してくる。
言葉を探しに行ったつもりなのに、
いつの間にか、自分の現在地を見つけている。
思考より先に、身体が知っていたことがあるのかもしれない。
「起きるが起こる」を少し信頼してみる
未来を考えることが悪いわけじゃない。
予定も大切だし、準備も必要。
でも、ときどき思う。
少しだけ思考を休ませて、
今見えているものを観測してみてもいいのかもしれない、と。
呼吸。
光。
身体の動き。
窓の外の景色。
私は、「起きるが起こる」を信頼している。
それは、「なるようになる」と諦めることとは少し違う。
何もしないことでも、ただ待つことでもなく、
今ここに身体ごと居ること。
目の前を流れていくものを、
頭で先回りせず、
身体を開いて受け取ってみること。
すると不思議なくらい、
必要な言葉も、出会いも、流れも、
どこか自然なタイミングで立ち上がってくる。
未来を握りしめるより、
今ここを全力で観測している方が、
本来の流れは静かに姿を見せるのかもしれない。
だから最近は、
未来へ急ぐ前に、身体の現在地へ戻る。
何もない日の中にあったもの
Beautiful Flowは、
何か特別な出来事の中にだけあるものだと思っていた。
でも、そうじゃなかった。
少しぼーっとした昼も。
何も起こらなかった夕方も。
理由もなく静かな夜も。
その全部の中に、流れはずっと在った。
何もない日も、美しい流れの中にいた。
そして今日も、身体だけは静かに、今ここに在り続けている。
