観測

●外側の流れや時代の変化、構造を静かに見つめる視点。
個人を超えた動きや、今という時代の輪郭を言葉にしていく。

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古代湖と暮らすような時間が、身体と意識に残していったもの

古代湖と暮らすような時間おてつ旅で滞在していた部屋は、3階の小さな住まいだった。ベランダに出ると、その向こうに、毎日、琵琶湖があった。観光地として見る湖ではなく、ただそこに在り続ける、大きな水。朝も、昼も、夕方も。部屋にいる限り、琵琶湖はい...
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思考を手放した先で、身体が答え始める──“脳で決めない”自由

身体は、ずっと答えていたのかもしれない最近、何かを決める時に、以前ほど“考え込まなく”なった。もちろん、現実的なことは考える。予定も立てるし、お金のことも確認する。でも、そのもっと手前にある、「なんとなく、こっちな気がする」という感覚を、前...
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イタリアには、「何もしない喜び」という文化がある──余白は、特別な生き方ではなかった

イタリアには、「Dolce far niente(ドルチェ・ファール・ニエンテ)」という言葉があるらしい。直訳すると、「何もしない喜び」。最初にその言葉を見た時、なぜか少しだけ、肩の力が抜けた。窓辺でコーヒーを飲む。広場で、ただ人を眺める。...
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唯一無二の“わたし”で、ただ遊ぶ ──削ぎ落とされた先にある自由

朝、鏡の前に立つ。少しだけ増えた線。なんとなく変わってきた輪郭。当たり前だが、昔のほうが、整っていた。そんなことを思いながら、でも同時に、どこかで知っている。この顔は、わたしが生きてきた時間そのものだということを。若さは、与えられたものだっ...
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コントロールを手放したとき、次は訪れる

最近、ふと感じることがある。次のステージは、無理に起こすものではないのかもしれない、と。これまでは、何かを変えようとしたり、動こうとしたり、意図して次へ進もうとしてきた。けれど今は、少し違う感覚がある。今ここにある体験を、ただそのまま味わう...
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考えているのに、無心でいられる不思議

ふと気づくと、思考は動いているのに、心はとても静かだった。言葉は自然に浮かび、指は迷いなくキーボードを動いていく。けれどそこには、いつものような「考えている重さ」がない。むしろ、書けば書くほど、内側は澄んでいくような感覚。まるで、思考がノイ...
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まだ言葉にならないものと、書いている

書こうとしているのに、まだ言葉にならないものがある。でも確かに、そこに「ある」という感覚だけはある。これまでは、その手前で消えていくものを、何度も見送ってきた。気づきは来る。テーマもふっと現れる。でもそれは、言葉になる前に、静かにほどけてい...
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祈りのように、わたしを置いていく

ブログを書くことは、祈りに似ている。そう感じたのは、何かを願っているわけでもなく、誰かに届けようとしているわけでもないのに、それでも書いてしまうから。祈りというと、誰かの幸せや、世界の平和を願うもの、そんなイメージがあると思う。わたし自身も...
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「できること」の終わりと、「在ること」のはじまり──AI時代に還る場所

最近、ふとした瞬間に気づいたことがある。全力で、自由な野生生物のように存在しているとき、私は「今ここ」にしかいなかった。思考ではなく、身体がその瞬間を生きていて、細胞が静かに、でも確かに喜んでいる感覚があった。とてもシンプルで、当たり前のこ...
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全力で在る──生命そのものとして生きる

朝、コーヒーを淹れていたとき、ふと、自分の身体に意識が戻ってきた。お湯を注ぐ手の感覚。立っている足の重さ。呼吸のゆっくりしたリズム。ただそれに触れているだけで、遠くにあった意識が、すっと戻ってくる。そのとき、はっきりと感じた。全力で、生命そ...