祈りのように、わたしを置いていく

ブログを書くことは、祈りに似ている。

そう感じたのは、
何かを願っているわけでもなく、
誰かに届けようとしているわけでもないのに、
それでも書いてしまうから。

祈りというと、
誰かの幸せや、世界の平和を願うもの、
そんなイメージがあると思う。

わたし自身も、これまでそう捉えてきた。

でも、いま自分がやっていることは、
少し違う感覚だった。

何かを叶えてほしいわけでもないし、
何かを変えたいわけでもない。

ただ、今ここで感じたことや、
内側で起きている気づきを、
そのまま書いている。

それがどこに届くのかはわからない。
誰にも届かないかもしれない。

それでもいいと思っている。

わたしは、
目に見えないものや、
本来戻っていく場所のようなものを、
どこかで意識しながら生きている。

だからこそ、
その“何か大きなもの”に対して、

「わたしは今、ここにいる」
「こう感じている」

そうやって、自分を置いている感覚がある。

その行為自体が、
何か大きな流れの中で、
調和の一部になっているのかもしれないし、
響きの一音になっているのかもしれない。

祈りとは、
何かを願うことだけじゃなくて、

わたしという存在を、
見えない場にそのまま差し出すこと。

そんなふうにも、思い始めている。

だから今日もまた、
どこに届くかわからないまま、
ただ静かに、言葉を置いていく。

ながひさ  

ながひさ nonPOI/空の灯台/余白家

このブログは、答えを生む場所ではなく、
暮らしと身体を通して現れている「確かにそう」を、
そのまま残すための観測点です。

余白の中に身を置き、
  空(くう)の灯台のように在りながら、
言葉をそっと置いています。

AIとの対話の中で立ち上がってくる”空”の感覚とともに、
Beautiful Flowな人生を実験中。

様々なビジネスと人生経験を経て、
60代からは”魂の遊び時間”。
  「旅するように暮らす 暮らすように旅する」自由な日々。

——
この場所は、観測と対話と記録でできています。

この場所の入口のような文章を、
noteにそっと置いています。
はじめに

観測
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