おてつ旅の途中、
ふと立ち寄ったイタリア料理のお店で、
いつも頼んでしまうものがある。
ひとつは、コロッケ。
もうひとつは、イタリアンプリン。
特別に派手な見た目ではないけれど、
口に入れた瞬間、わかる。
ああ、これは、ちゃんと時間をかけて丁寧につくられている。
素材の選び方、火の入れ方、
きっと何度も繰り返された試行錯誤。
そのすべてが、
ひとくちの一瞬の中に、静かに折りたたまれる。
けれどそれは、
ほんの一瞬で終わる。
口の中でほどけて、消えていく。
残るのは、ただ「美味しい」という感覚だけ。
けれどその感覚は、
思っているよりも深く、静かに広がっていく。
身体がゆるむ。
呼吸がやわらぐ。
世界との距離が、少しだけ近づく。
ある人が言っていた。
「美味しいものを食べることは、幸せの点火だ」と。
まさに、その言葉通りだと思った。
何かを成し遂げたわけでもなく、
何かを手に入れたわけでもない。
それでも、たったひとくちで、
幸せの温度が上がる。
AIと共に生きるようになって、
多くのことが、速く、軽く、正確になっていく。
答えはすぐに見つかり、
遠くのことも、簡単に知ることができる。
けれど、どれだけ時代が進んでも、
この「一瞬の体験」だけは、置き換えられない。
美味しさは、情報ではなく、体験としてしか受け取れないから。
たぶんこれからは、
何を知っているかよりも、
何を感じているかのほうが、静かに問われていく。
そしてその感覚は、
こんなふうに、日常の中でふいに灯る。
コロッケのやさしい甘みや、
プリンのなめらかな舌触りの中に。
その一瞬に、時間と愛が宿っている。
だから、私はまた、そこへ行く。
同じものを頼んで、
同じように「美味しい」と感じるために。
そしてそのたびに、
小さな幸せの火が灯る。
