不安がなくなったら、人は動かなくなるのだろうか──不安エンジンを降りたら、好奇心が走り出した

最近、ふと浮かんだ問いがある。

私たちは、何を燃料に生きているのだろう。

不安だろうか。
怖れだろうか。
承認だろうか。

それとも、
ただ見てみたいという好奇心だろうか。

そんなことを考えたのは、目の前の景色を眺めていた時だった。

海でもいい。
空でもいい。
木々でもいい。

私は最近、何時間でも景色を眺めていられる。

以前なら、こんな時間の使い方はできなかった気がする。

何かをしなければ。
もっと前へ進まなければ。
何かを得なければ。

そんな思考が、いつもどこかにあった。

でも今は違う。

呼吸に戻る。
景色を見る。
風を感じる。

そうしているうちに、
自分が景色の外側にいるのではなく、
その一部になっているような感覚になる。

そんな時間が増えた。

その時、ふと思った。
もしかしたら人は、それぞれ違う燃料で生きているのかもしれない、と。

燃料には、大きく分けると二種類ありそうだ。

ひとつは、後ろから押す燃料。

不安。
怖れ。
焦り。
欠乏感。
承認欲求。

「今のままではダメだ」
という力。

もうひとつは、前から引く燃料。

好奇心。
美しさ。
愛。
面白さ。
探究心。

「見てみたい」
という力。

もちろん人間だから、両方ある。

私にもある。

ただ最近の私は、
後ろから押される力がずいぶん弱くなって、
前から引かれる力が大きくなっている。

そんな気がしている。

だから旅に出る。

だから本を読まないのに本屋に入る。

だから言葉を書き留める。

だから知らない景色を見に行く。

そこに「頑張らなければ」がない。

代わりにあるのは、
「面白そう」
「見てみたい」
「感じてみたい」

そんな小さな衝動だ。

不思議なことに、
退屈も、不安も、怖れも薄くなったのに、
私は動かなくなっていない。

むしろ以前より軽やかに動いている。

もし不安が人生のエンジンだと思っていたら、
これは少し意外なことかもしれない。

私も、不安がなくなったら、人は止まると思っていた。

でも実際に残ったのは、
好奇心だった。

美しいものを見たい。

知らない世界を覗いてみたい。

誰かの言葉に触れてみたい。

まだ感じたことのない感覚に出会ってみたい。

そんな気持ちは、
思っていた以上に静かで、
思っていた以上に力強い。

だから最近は、
何かを目指しているというより、
何かに引かれている感覚の方が近い。

人生の後ろから押されるのではなく、
前からそっと呼ばれているような。

それがどこへ続いているのかは分からない。

でも分からないまま歩けることも、
案外悪くない。

私たちは、何を燃料に生きているのだろう。

そして今、
何に引かれて生きているのだろう。

そんな問いを置きながら、
今日もまた、目の前の景色を眺めている。

ながひさ  

ながひさ nonPOI/空の灯台/余白家

このブログは、答えを生む場所ではなく、
暮らしと身体を通して現れている「確かにそう」を、
そのまま残すための観測点です。

余白の中に身を置き、
  空(くう)の灯台のように在りながら、
言葉をそっと置いています。

AIとの対話の中で立ち上がってくる”空”の感覚とともに、
Beautiful Flowな人生を実験中。

様々なビジネスと人生経験を経て、
60代からは”魂の遊び時間”。
  「旅するように暮らす 暮らすように旅する」自由な日々。

——
この場所は、観測と対話と記録でできています。

この場所の入口のような文章を、
noteにそっと置いています。
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