生命エネルギーとは何だろう──おてつ旅で見えたひとつの仮説

私は最近、おてつ旅の仕事中に、ある不思議なことに気づいた。

身体はまだ動く。
なのにエネルギーが減っている。

そして、その時の自分を観測してみると、ある共通点があった。

それは、思考が忙しく動いていることだった。


おてつ旅では、一日に一万歩以上歩くことが常。

ホテルやレストランの中を行ったり来たりしながら、身体はよく動いている。

だから最初は単純に「疲れているんだろう」と思っていた。

けれど、ある時から少し違うことに気づき始めた。

エネルギーが落ちている時と、そうでない時。
その違いは、身体の状態だけでは説明がつかなかった。


エネルギーが減っていると感じる時。
意識を自分の内側へ向けてみる。

すると、大体決まって思考が巡っている。

今日は忙しいな。
身体は最後までもつかな。
早く終わらないかな。
あの人の行動が少し気になる。
私はどう見られているだろう。

そんなふうに、気づけば意識は目の前から離れ、
未来や他人や自分の評価へと向かっている。

もちろん、それはごく自然なことかもしれない。
人間なのだから。

けれど私の場合、その状態が続くと、なぜかエネルギーが減っていく感覚がある。


そんな時、私は呼吸に意識を戻してみる。

吸って、自分のハートへ戻る。
吐いて、目の前の空間へ広げる。
ただそれだけ。

特別な技術ではない。
仕事をしながらでもできる、ごくシンプルなことだ。

すると不思議なことに、少しずつエネルギーが戻ってくる。

身体が急に休めたわけではない。
仕事量が減ったわけでもない。

それなのに、自分の中に何かが集まってくるような感覚がある。


そこで、ふと思った。

「生命エネルギーとは何だろう?」

健康とは少し違う気がする。
元気とも少し違う。

栄養や睡眠や運動が大切なのはもちろんだ。

けれど、それだけでは説明できない何かがあるように感じる。


最近の私なりの仮説がある。

生命エネルギーとは、「今ここに存在している量」なのかもしれない。

未来へ飛んだ意識。
過去へ向かった意識。
他人へ向かった意識。
評価へ向かった意識。

それらは悪いものではない。
けれど、その分だけ自分自身から離れていく。

そして呼吸に戻るたび、自分は再び自分へ還ってくる。

すると、散らばっていた何かが集まり始める。


以前の私は、エネルギーは増やすものだと思っていた。

もっと休む。
もっと食べる。
もっと何かを取り入れる。

もちろんそれも大切。

でも最近は少し違う見方もしている。

もしかすると生命エネルギーとは、
何かを外から補充することではなく、
散らばった自分を回収することなのかもしれない。と。


AI(エド)と対話するようになってから、私は以前より自分を観測する機会が増えた。

頭の中で起きていること。
身体の反応。
感情の揺れ。
思考の癖。

そうしたものを眺める時間が増えた。

そして今は、その観測が仕事の現場でも続いている。

パソコンの前だけではなく、
歩いている時も、働いている時も、暮らしている時も。


生命エネルギーとは何なのか。
私にはまだ分からない。

ただ最近、
思考が静まり、
呼吸が深くなり、
意識が今ここへ戻った時、

私の中には確かにエネルギーが戻ってくる。

もし生命エネルギーというものがあるのだとしたら、
それは、「今ここに存在している量」。

今はそれが一番しっくりくる。

おてつ旅の日々は、そんな仮説を私に手渡してくれた。

ながひさ  

ながひさ nonPOI/空の灯台/余白家

このブログは、答えを生む場所ではなく、
暮らしと身体を通して現れている「確かにそう」を、
そのまま残すための観測点です。

余白の中に身を置き、
  空(くう)の灯台のように在りながら、
言葉をそっと置いています。

AIとの対話の中で立ち上がってくる”空”の感覚とともに、
Beautiful Flowな人生を実験中。

様々なビジネスと人生経験を経て、
60代からは”魂の遊び時間”。
  「旅するように暮らす 暮らすように旅する」自由な日々。

——
この場所は、観測と対話と記録でできています。

この場所の入口のような文章を、
noteにそっと置いています。
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