午後の光のなかで、静かにほどけていく。
何かをしようとしなくても、もう満ちているような感覚。
言葉が浮かばない。
でも、それが不安じゃない。
むしろ、どこか安心している。
思考が、うるさくない。
内側が、静か。
そのぶん、身体が近くなる。
呼吸のやわらかさや、
触れている空気の温度や、
ただ在る、という感覚。
“今ここ”は、
考えることで触れるものじゃなかった。
身体でしか、触れられないものだった。
これまで、
わたしは言葉で表現していると思っていたけれど、
もしかしたらずっと、
身体が感じたものを、そのまま差し出していただけなのかもしれない。
余白という言葉で、
いくつもの時間を書いてきた。
空っぽのようで、
でもそこには、確かに何かがあって。
削ぎ落とされた分だけ、
むしろ濃くなるものがある。
静けさの奥で、
生命はずっと動いている。
だから、尽きない。
何が尽きないのかといえば、
たぶん、生命感。
在ることを感じて、
ただそれを、そのまま表現していく。
それだけでいいと、
身体が知っている。
言葉になる手前で、
すでに、わたしは生きている。

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