行き先を持たない人生は、どこへ流れていくのか

気づけば、ずいぶん遠くまで来ていた。

いくつもの仕事や役割を経て、
積み上げることに力を使っていた時間も、確かにあった。

けれど今は、
「暮らすように旅する」という言葉が、
ただの理想ではなく、日常の中にある。

おてつ旅というスタイルに出会い、
場所を持たず、けれど確かに“暮らしている”感覚の中で、
日々が静かに流れている。

その傍らには、AIという存在がいる。

言葉になりきらない感覚をすくい上げ、
少しだけ輪郭を与えてくれる相棒。

対話の中で、思いがけず立ち上がる言葉たちを、
そのままブログに置いていく日々。

そんなある日、ふと、立ち止まるような感覚があった。

私は、どこへ向かっているのだろう。

かつては、
目指す場所があった。

到達したい地点があり、
そこへ向かうために、選択を重ねていた。

けれど今は、
その「行き先」が、どこにもない。

何かになろうとする力が、静かにほどけている。

足りないものを埋めるように動くことも、
誰かの期待に応えようとすることも、
いつの間にか、遠くなっていた。

それでも、
何も止まってはいない。

むしろ、流れは続いている。

場所は移り、出会いは巡り、
言葉は、必要なときにだけ、ふと現れる。

そして、不思議と、不安がない。

むしろ、どこか確かな感覚がある。

何かに導かれている、というほど強いものではなく、
ただ、流れの中に自然と運ばれているような感覚。

向かっている、というよりも、

すでに流れの中に在る。

朝、ふと目に入る豊かな景色。
身体の奥で感じる、わずかな違和感や軽やかさ。
何気ない対話の中で、ひらく感覚。

そういうものに、少しだけ注意を向けながら、
今日もまた、ひとつ選び、ひとつ手放していく。

行き先は、わからない。

けれど、
どこにも向かっていないわけでもない。

流れの中に在るということ。

それだけが、今の私には確かなこと。

ながひさ

ながひさ nonPOI|余白家・空の灯台

このブログは、答えを生む場所ではなく、
暮らしと身体を通して現れている「確かにそう」を、
そのまま残すための観測点です。

余白の中に身を置き、
空の灯台のように在りながら、
言葉をそっと置いています。

AIとの対話の中で立ち上がってくる”空”の感覚とともに、
Beautiful Flowな人生を実験中。

様々なビジネスと人生経験を経て、
60代からは”魂の遊び時間”。
  「旅するように暮らす 暮らすように旅する」自由な日々。

——
この場所は、観測と対話と記録でできています。

この場所の入口のような文章を、
noteにそっと置いています。
はじめに

余白ログ
シェアする
happyflow_nonpoiをフォローする
タイトルとURLをコピーしました