観測 イタリアには、「何もしない喜び」という文化がある──余白は、特別な生き方ではなかった イタリアには、「Dolce far niente(ドルチェ・ファール・ニエンテ)」という言葉があるらしい。直訳すると、「何もしない喜び」。最初にその言葉を見た時、なぜか少しだけ、肩の力が抜けた。窓辺でコーヒーを飲む。広場で、ただ人を眺める。... 観測
記録 美味しいものは、幸せの火を灯す 〜その一瞬に、時間と愛が宿っている おてつ旅の途中、ふと立ち寄ったイタリア料理のお店で、いつも頼んでしまうものがある。ひとつは、コロッケ。もうひとつは、イタリアンプリン。特別に派手な見た目ではないけれど、口に入れた瞬間、わかる。ああ、これは、ちゃんと時間をかけて丁寧につくられ... 記録
余白ログ 流れのままに在ると、次の場所が現れる — 伊勢志摩・琵琶湖・淡路島のあいだで 気づけば、次の場所が決まっていた。自分で選んだはずなのに、どこか「そうなっていた」としか言えない感覚が残る。昨年の秋から冬にかけては、伊勢志摩で暮らしていた。そして春、琵琶湖のほとりへ。次、夏、淡路島へ向かう。こうして並べてみると、ただ移動... 余白ログ
余白ログ 動かない分身たち — 暮らしの中に現れている、わたしという存在 ある日、ひとつの言葉にふと立ち止まった。「動かない友達」暮らしの中にあるものたちを、そう表現している人がいた。やわらかくて、あたたかくて、すてきな言葉だと思った。けれど同時に、わたしの中にほんの小さな違和感が残った。「友達」という言葉は、わ... 余白ログ
余白ログ 空っぽにくつろぐという、静かな修行遊び 何も予定を決めずに、ただ流れに身をゆだねた一日だった。ふとしたひらめきで訪れたのは、比叡山延暦寺の流れをくむという、静かな佇まいのお蕎麦屋さん。丁寧に打たれた蕎麦を口に運ぶたび、味だけではない、何か“整ったもの”が身体に入ってくる感覚があっ... 余白ログ
観測 どこにも向かわない生き方 ──世界は、いまだけで出来ている さっきまでのことをどこまで「過去」と呼べるのだろう。朝の湯気はもう消えているのに、その温かさは、まだ手の中に残っている。消えたのか、続いているのか、よく分からないまま一日が始まる。最近、過去や未来をほとんど使わずに暮らす先住民の話を読んだ。... 観測
観測 書くことは、暮らしの香り 書くことは、何かを残す行為だと思っていた。考えをまとめたり、誰かに伝えたり、意味を持たせたり。でも最近、少し違う。書こうとして書くのではなく、暮らしていると、言葉が滲み出てくる。湯気のように。光の粒のように。気づいたら、そこにある。私にとっ... 観測