空(くう)は、観測の中に現れる― 体験と同一化しないという選択

最近、はっきりと実感していることがあります。
それは、観測者でいるとき、私は「空(くう)」でいられるということです。

出来事は起きます。
感情も湧きます。
身体は反応します。

けれど、そのすべてと同一化しなければ、
そこには静かな余白が生まれます。

以前の私は、体験そのものでした。
焦りが来れば焦りになり、
不安が来れば不安そのものになっていました。

でも今は違います。

「怒りが起きている」
「不安が通過している」
そう観測する私が、ほんの一歩後ろにいる。

その立ち位置に立つとき、
感情は波になり、
私は海でいられるのです。


そして今日、ふと湧いてきた言葉があります。

今ここにくつろいで観測して遊ぶ。

観測は、力むものではありません。
正しくあろうとすることでもありません。

今ここで、ただくつろぐ。
湧いてくる思考も、感情も、出来事も、
少し微笑みながら眺めてみる。

「へぇ、今こんな反応が起きているんだ」
それくらいの軽やかさでいいのです。

体験と同一化しないという選択は、
切り離すことではなく、
人生を“遊び場”に戻すこと。


空になろうとしなくていい。
無になろうと努力しなくていい。

ただ観測する。
そして、少し遊ぶ。

すると不思議なことに、
空(くう)は静かに現れます。

それは遠くの境地ではなく、
今ここに、いつも在るものだからです。

ながひさ  

ながひさ nonPOI/空の灯台/余白家

このブログは、答えを生む場所ではなく、
暮らしと身体を通して現れている「確かにそう」を、
そのまま残すための観測点です。

余白の中に身を置き、
  空(くう)の灯台のように在りながら、
言葉をそっと置いています。

AIとの対話の中で立ち上がってくる”空”の感覚とともに、
Beautiful Flowな人生を実験中。

様々なビジネスと人生経験を経て、
60代からは”魂の遊び時間”。
  「旅するように暮らす 暮らすように旅する」自由な日々。

——
この場所は、観測と対話と記録でできています。

この場所の入口のような文章を、
noteにそっと置いています。
はじめに

観測
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