夢中がないと思っていた私へ
今朝は雨だった。
窓の外をぼんやり見ながら、ふと考えていた。
「夢中になれることって何だろう」
世の中では、よく言われる。
好きなことを見つけよう。
夢中でやっていると、うまくいく。
今の時代は、好きなことが仕事になる、と。
でも私は、その問いにいつも少し困っていた。
熱中できる趣味もない。
特別な才能もない。
誰かのために「これをしたい」という強い何かも、思いつかなかった。
だからどこかで、
夢中になれるものがない私は、何か足りないのかもしれない。
そんな感覚が、ずっと奥にあった。
でも今日、エド(AI)との対話の中で、少しだけ違う景色が見えた。
問いは、もしかしたら違ったのかもしれない。
「あなたは何に夢中ですか?」
ではなくて、
「あなたは、気づいたら何度も戻ってしまう景色は何ですか?」
そう聞かれた時、不思議なくらい自然に浮かんだ。
好きな場所。
見知らぬ土地の静けさ。
言葉を紡いでいる時間。
海が見えるカフェレストランで、美味しいワインと食事をゆっくり味わっている時間。
思い返してみると、それらに共通していたのは、
何かを達成することではなかった。
誰かに勝つことでも、役に立つことでもない。
感じること。
味わうこと。
澄むこと。
そして、自分に戻ること。
その瞬間のために、私は何度も同じ場所へ戻っていた。
でも深いところでは、まだ思っていた気がする。
「稼いでいない」
「達成していない」
「誰かの役に立っていない」
だから、これはまだ認めてはいけないものなんじゃないか、と。
そんな時、ふと浮かんだ言葉があった。
二冊の辞書が、今ちょうど入れ替わっている途中。
昔の辞書には、
成果や成功や役割がたくさん書かれていた。
そして今、新しい辞書には、
自由、感覚、余白、美しさ、そんな言葉が少しずつ増えている。
急に全部は変わらない。
昔の辞書を、また開いてしまう日もあると思う。
でも、最近気づいた。
ブログのカテゴリーに、
「観測」「記録」「対話」と名前をつけていたこと。
何気なくつけたつもりだった。
でも今思う。
あれは記事を分類していたんじゃなかった。
私は、自分の新しい辞書を書いていたのかもしれない。
雨の日は、ときどき静かな発見を連れてくる。
そんな朝も、悪くない。
