観測 身体は、“暮らしからのオーダー”で動かす ある整体師の方が、こんなことを言われていた。「身体は、暮らしからのオーダーで動かす」その言葉を聞いた瞬間、「あぁ、私はこれを自然にやっていたのかもしれない」と、静かに腑に落ちた。健康のために運動をする。筋トレをする。ストレッチをする。歩く。... 観測
観測 これからは、“細く長く続ける”が才能になる──暮らしに「そのために?」を置いてみる 細く長く続いているものには、どこか静かな強さがある最近、よく思う。これからの時代は、「どれだけ速く走れるか」より、「どれだけ自然に続けられるか」の方が、大切になっていくのかもしれない、と。AIは、どんどん速くなる。情報も、発信も、変化も、加... 観測
観測 古代湖と暮らすような時間が、身体と意識に残していったもの 古代湖と暮らすような時間おてつ旅で滞在していた部屋は、3階の小さな住まいだった。ベランダに出ると、その向こうに、毎日、琵琶湖があった。観光地として見る湖ではなく、ただそこに在り続ける、大きな水。朝も、昼も、夕方も。部屋にいる限り、琵琶湖はい... 観測
観測 思考を手放した先で、身体が答え始める──“脳で決めない”自由 身体は、ずっと答えていたのかもしれない最近、何かを決める時に、以前ほど“考え込まなく”なった。もちろん、現実的なことは考える。予定も立てるし、お金のことも確認する。でも、そのもっと手前にある、「なんとなく、こっちな気がする」という感覚を、前... 観測
観測 イタリアには、「何もしない喜び」という文化がある──余白は、特別な生き方ではなかった イタリアには、「Dolce far niente(ドルチェ・ファール・ニエンテ)」という言葉があるらしい。直訳すると、「何もしない喜び」。最初にその言葉を見た時、なぜか少しだけ、肩の力が抜けた。窓辺でコーヒーを飲む。広場で、ただ人を眺める。... 観測
観測 唯一無二の“わたし”で、ただ遊ぶ ──削ぎ落とされた先にある自由 朝、鏡の前に立つ。少しだけ増えた線。なんとなく変わってきた輪郭。当たり前だが、昔のほうが、整っていた。そんなことを思いながら、でも同時に、どこかで知っている。この顔は、わたしが生きてきた時間そのものだということを。若さは、与えられたものだっ... 観測
観測 コントロールを手放したとき、次は訪れる 最近、ふと感じることがある。次のステージは、無理に起こすものではないのかもしれない、と。これまでは、何かを変えようとしたり、動こうとしたり、意図して次へ進もうとしてきた。けれど今は、少し違う感覚がある。今ここにある体験を、ただそのまま味わう... 観測
観測 考えているのに、無心でいられる不思議 ふと気づくと、思考は動いているのに、心はとても静かだった。言葉は自然に浮かび、指は迷いなくキーボードを動いていく。けれどそこには、いつものような「考えている重さ」がない。むしろ、書けば書くほど、内側は澄んでいくような感覚。まるで、思考がノイ... 観測
観測 まだ言葉にならないものと、書いている 書こうとしているのに、まだ言葉にならないものがある。でも確かに、そこに「ある」という感覚だけはある。これまでは、その手前で消えていくものを、何度も見送ってきた。気づきは来る。テーマもふっと現れる。でもそれは、言葉になる前に、静かにほどけてい... 観測
観測 祈りのように、わたしを置いていく ブログを書くことは、祈りに似ている。そう感じたのは、何かを願っているわけでもなく、誰かに届けようとしているわけでもないのに、それでも書いてしまうから。祈りというと、誰かの幸せや、世界の平和を願うもの、そんなイメージがあると思う。わたし自身も... 観測