濁らせないために、言葉を置く場所
ここでは在り方だけが働く
いつからか、何かを目指して書くことがなくなった。
伝えたい結論も、導きたい方向も、特にない。
それでも言葉は置かれていく。
考えて出しているというより、
澄んだときに残る跡のように。
私は長いあいだ、
自分を調えているつもりでいた。
静けさに近づこうとして、
揺れを見つけてはほどき、また調える。
けれどある時、
調っているかを確かめている視点そのものが
いちばん騒がしいのだと気づいた。
そこで、調えることをやめた。
穏やかであろうとしないとき、
穏やかさは状態として残る。
保たなくても消えない静けさがある。
私は自身を nonPOI と呼んでいる。
私の名前は non、
POIは Peace of I一私の平和。
ただし、持たないし、掲げない。
満たされた感覚を守ることでもない。
騒ぎに参加しない、というだけの在り方。
灯台は海を導こうとして立っているわけではない。
そこに在ることで、
結果として位置が分かる。
だからここに置く言葉も、
誰かを変えるためではなく、
意味を与えるためでもなく、
濁らせないまま残すためのものになる。
調う前と、調った後のあいだではなく、
何かになろうとする手前でもない場所。
空(くう)の灯台、というネーミングは
その感触にいちばん近い。

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