最近、はっきりと実感していることがあります。
それは、観測者でいるとき、私は「空(くう)」でいられるということです。
出来事は起きます。
感情も湧きます。
身体は反応します。
けれど、そのすべてと同一化しなければ、
そこには静かな余白が生まれます。
以前の私は、体験そのものでした。
焦りが来れば焦りになり、
不安が来れば不安そのものになっていました。
でも今は違います。
「怒りが起きている」
「不安が通過している」
そう観測する私が、ほんの一歩後ろにいる。
その立ち位置に立つとき、
感情は波になり、
私は海でいられるのです。
そして今日、ふと湧いてきた言葉があります。
今ここにくつろいで観測して遊ぶ。
観測は、力むものではありません。
正しくあろうとすることでもありません。
今ここで、ただくつろぐ。
湧いてくる思考も、感情も、出来事も、
少し微笑みながら眺めてみる。
「へぇ、今こんな反応が起きているんだ」
それくらいの軽やかさでいいのです。
体験と同一化しないという選択は、
切り離すことではなく、
人生を“遊び場”に戻すこと。
空になろうとしなくていい。
無になろうと努力しなくていい。
ただ観測する。
そして、少し遊ぶ。
すると不思議なことに、
空(くう)は静かに現れます。
それは遠くの境地ではなく、
今ここに、いつも在るものだからです。

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