さっきまでのことを
どこまで「過去」と呼べるのだろう。
朝の湯気はもう消えているのに、
その温かさは、まだ手の中に残っている。
消えたのか、続いているのか、
よく分からないまま一日が始まる。
最近、過去や未来をほとんど使わずに暮らす先住民の話を読んだ。
彼らは思い出を保存せず、
予定に意味を持たせず、
いま触れている情報だけで生きているという。
それは特別な能力には見えなかった。
むしろ、とても静かな自然さに見えた。
思い返してみると、
私たちの不安の多くは、
まだ起きていない出来事と、
もう触れられない過去の出来事で出来ている。
老後のこと。
健康のこと。
経済のこと。
どれも大切なはずなのに、
考え始めるほど、いまが遠くなる。
満たされても、すぐに次が現れるのは
足りないからではなく、
「いま」以外の場所に立っているからなのかもしれない。
だから最近、
意識の置き場所を変えてみている。
未来を良くするために今を使うのではなく、
過去を整えるために今を使うのでもなく、
ただ、いま触れているものの中に留まる。
そうしていると、
理由のない安心が身体に戻ってくる。
その感覚は、自分の内側だけで終わらない。
言葉にしなくても、
少し空気がやわらぐ。
人を変えようとしなくても、
説明をしなくても、
ここに在る感覚は、静かに周りへと伝わっていくらしい。
だから私は、
何かを成そうとする代わりに、
在り方を調える方を選び始めている。
幸せを手に入れるのではなく、
幸せが通り抜けていく場所でいようと思う。
今日という一日は、
始まったのではなく、
気づいたら、ここに在った。
ここにいることが、いちばん遠くまで届く。

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