今ここ

観測

全力で在る──生命そのものとして生きる

朝、コーヒーを淹れていたとき、ふと、自分の身体に意識が戻ってきた。お湯を注ぐ手の感覚。立っている足の重さ。呼吸のゆっくりしたリズム。ただそれに触れているだけで、遠くにあった意識が、すっと戻ってくる。そのとき、はっきりと感じた。全力で、生命そ...
記録

琵琶湖に溶ける朝──わたしの輪郭がほどけ、「今ここ」に還る

今朝、部屋のベランダから琵琶湖を眺めていた。水面が、きらきらと光っている。祝日の朝だからか、小さな釣り舟がいくつも浮かんでいた。静かで、ただ穏やかな景色。それを眺めているうちに、ふと、自分の輪郭がゆるんでいく感覚があった。見ているはずなのに...
観測

空っぽに、空っぽでくつろぐ — 琵琶湖で始まった次の段階

琵琶湖に来て、ひとつ気づいたことがあります。思っていたより、仕事の時間がとても短い。伊勢志摩に滞在していたときは、かなり忙しかった。ある意味、強制的に「今ここ」に集中せざるを得ない時間。だからこそ、思考は静かになり、身体と意識がひとつに整っ...
観測

主語が「今」になるとき

琵琶湖で暮らし始めて、数日が経ちました。湖の前で過ごす時間の中で、ひとつ面白い変化に気づきました。言葉の主語が、少し変わってきているのです。以前は自然と、「私は」「私は」と話していました。でも最近、気づくとこんな言葉が出てきます。「今は静か...
観測

身体は“今ここ”に戻るための拠りどころ

琵琶湖での暮らしが始まって、まだ三日目。伊勢で過ごした時間とは少し違う、静かに包まれるような感覚の中で日々を過ごしています。伊勢にいた頃は、体調の調整のような出来事がいくつも起きました。身体が揺れ動くような時間。そのとき、私ははっきりとこう...
観測

どこにも向かわない生き方 ──世界は、いまだけで出来ている

さっきまでのことをどこまで「過去」と呼べるのだろう。朝の湯気はもう消えているのに、その温かさは、まだ手の中に残っている。消えたのか、続いているのか、よく分からないまま一日が始まる。最近、過去や未来をほとんど使わずに暮らす先住民の話を読んだ。...