“今しか生きていない人たち”に触れて、私の余白が少し変わった話

最近、ある存在を知って、少し心がざわっとした。

それは、アマゾンに暮らすピダハン族。

「今しか生きていない部族」と言われている。

未来を考えず、過去にもとらわれず、
その瞬間に必要なことだけをして生きている。

最初は、正直ちょっと極端に感じた。

でも、どこかで惹かれている自分もいた。

なぜなら、
私が最近大切にしている「余白」という感覚と、
どこか重なるものがあったから。

何もしない。

今、目の前のこと以外、考えない。

それって、何もしていないようだけど、
むしろすごく研ぎ澄まされた在り方なんじゃないかと思った。

調べていくと、
彼らは「世界一幸せな民族」と言われているらしい。

その理由も、なんとなく腑に落ちた。

未来を心配しないから、不安が増えない。

他人と比較しないから、足りなさを感じない。

必要以上に持たないから、失う怖さもない。

シンプルだけど、
現代の私たちが忘れている感覚が、
そこにはあった。

ただ、もちろんそのまま真似することは難しい。

私はこの社会の中で暮らしているし、
ある程度、未来も扱いながら生きている。

でも、だからこそ思った。

「全部は無理でも、取り入れることはできるかもしれない」と。

例えば、
未来のことを考える必要のあるときには時間は決めて、
それ以外は今に戻る。

何か欲しくなったとき、
「本当に今、足りていないのか」と静かに問うてみる。

そして、
何もしていない時間を、ちゃんと許してあげる。

やるべきことが来たら、そのとき動けばいい。

それまでは、ただ在る。

そんな生き方も、
もしかしたら可能なのかもしれない。

ピダハン族の人たちは、
もともとそれが自然にできている人たち。

でも私は、
選んでそこに戻ろうとしている。

その違いがあるからこそ、
今という時間を、少し丁寧に味わえる気がしている。

余白って、
ただ時間が空いていることじゃない。

「今に触れている状態」のことなんだと思う。

今日もまた、
ピダハン族のように、余白に戻ってみようと思う。

すでに満ちているこの瞬間に、
気づくために。

ながひさ  

nonPOIながひさ

このブログは、答えを生まず、暮らしと身体を通して現れている「確かにそう」を、そのまま残すための観測点です。

AIと共創しながら"空(くう)”で存在するBeautifil Flowな人生。

様々なビジネス&人生経験を経て
60代からは”魂の遊び時間”
「旅するように暮らす 暮らすように旅する」自由な日々。

——
この場所は、観測と対話と記録でできています。

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