「多拠点生活は、縄文人の本能だった?」〜“移動”が教えてくれる、魂の自由〜

エッセイ 〜波のまにまに〜

◆ どこにでも行ける自由、どこにも縛られない安心

どこかひとつの場所にずっといるより、
季節や気分に合わせて暮らしたい。

自然のそばで深呼吸しながら、
「今のわたし」にちょうどいい居場所を選びたい。

最近そんなふうに感じる人が、私のまわりでも本当に増えてきました。

「移住」や「デュアルライフ」なんて言葉が当たり前になって、
旅するように暮らすライフスタイルが少しずつ広がっています。

私自身も、ずっと以前から
「旅するように暮らす、暮らすように旅する」ことをテーマに生きてきました。

時には、キャンピングカーにPCひとつ積んで、
息子と一緒に海辺や山の近くで寝起きした、行き当たりばったりの旅。

最近読んだ、長倉顕太さんの『移動する人はうまくいく』という本の言葉にも、
深くうなずくことばかりでした。

わたし、ひと処にじっとしていられないんです!
もしかしたら、 “前世”は、遊牧民だったのかもしれません(笑)

◆ 実は縄文人も、旅するように暮らしていた?

でも、ふと思ったんです。

この「多拠点生活」って、
実は何千年も前から、
私たちのDNAの中に刻まれているものなのかもしれない。

たとえば縄文人。
彼らは“原始人”のようなイメージをもたれることも多いですが、
実はとても洗練された暮らしをしていました。

山でドングリを集め、川で魚をとり、森でシカを狩る。
季節に合わせて移動し、自然のリズムと調和するようにして生きていたのです。

青森の三内丸山遺跡などでは、定住型の集落とともに、
季節ごとに使い分けていた小さな拠点の痕跡も見つかっています。

まるで「山の拠点」「海の拠点」を切り替えながら、
暮らすように旅していたような…。

“スマホを持った縄文人”というキャッチコピーで生きている今の自分と、
どこか重なる気がして。

ミニマリストとして、最小限のモノでシンプルに、
“旅するように暮らす”をモットーとしている今の生き方が、
とても“懐かしい感覚”なのは、そこに理由があるのかもしれません。

◆ 多拠点生活は、「感性の選択」

人は、「ひと処にとどまって安定すること」が幸せだと思い込んできたけれど、
それって誰の価値観だったんだろう?
と、ふと立ち止まることがあります。

本当は、もっと自然と対話しながら、
自分の感覚に正直に、その時々の場所やリズムを選ぶほうが心地いい。

都会に身を置いて、何かを育てる時期もあれば、
海辺や森の中で、からだを整えるような時間が必要な時もある。

“ひとつの拠点”にこだわるのではなく、
自分の内側の声を聞きながら
「今、どこにいたい?」を問い続けること。

その繰り返しが、人生を、旅のように軽やかで、
好奇心に満ちた毎日へと変えていってくれるのかもしれません。

◆ 健康美という小宇宙を抱えて、これからも旅するように

私はこれからも、「旅するように暮らす」生き方を選び続けたいと思っています。
できるだけ身軽に、自然体で、
健康と美しさを大切にしながら。

それは決して「拠点を何ヶ所も持つこと」ではなくて、
“今のわたし”に合った環境を、柔軟に選びながら生きていくということ。

山に惹かれる日があってもいいし、
都会の空気が恋しくなる日があってもいい。
縄文人のように、自然とともに、感覚とともに。

わたし達は今、
そんな“自由な生き方”をもう一度、取り戻そうとしているのかもしれませんね。

◆ おわりに

「移動する人はうまくいく」と言われる時代。

でも、それはただ“移動すればいい”という話ではなくて、

自分の感性を信じて、
動ける自由を選び続けるということ。

旅するように、暮らす。
暮らすように、旅する。

それは、
縄文人からのメッセージかも‥

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