本音とか、違和感とか、自分らしさとか──そんなのもうどうでもよくなった
本音とか、違和感とか、自分らしさとか──そんなのもうどうでもよくなった
最近ふと気づいたことがある。
「本音で生きよう」「違和感に気づこう」「自分らしく」──
ずっと大切にしてきたはずの言葉たちが、ある時からどうでもよくなってきた。
60代になったから⁈
これまで積み重ねてきた経験も、背負ってきたこだわりも、
気づけばだんだんと軽くなっていく。
年齢を重ねることの最大の魅力は、ここかもしれないと思う。
これまでのこだわりや信念を手放してみると、
ただ「ここに世界があって、身体があって」。
それだけが事実で⸻
私の意図で変えようとすることが、なんだか不自然に思える瞬間が増えてきた。
起こるが起きる
じゃあ、その感覚のまま日々をどうやって過ごすの?
仕事は? 家事は?
お金のやりくりは?
健康習慣は?
人間関係は?
問いかけられたら──
「起こるが起きるから、大丈夫」
今ならそんな風に答えるでしょう。
努力や計画で何とかしようとするよりも、
流れに委ねて、目の前のことを淡々とこなしていく。
すると不思議と、必要なことはまわり始める。
本当に。
そして気づけば、最終的にはちゃんと望んだところに行き着いている。
その「望み」が何なのかは、人それぞれ。
サレンダー(手放しの先の降伏する)は、それぞれの心に隠れていた願いへと静かに運んでくれる。
清濁あわせ持つ自由
とはいえ、この感覚は「悟った人」や「聖者の域」に入った、という意味ではない。
怒っていいし、泣いてもいい。
SNSでがっつり煽っても、ネガティブな発言をしてもいい。
稼ぐことに必死になってもいい。
お金を追いかけて貪欲になってもいいし、
つつましく節約しながら安定の生活を送ってもいい。
規則正しい生活でも、不規則な夜更かしでもいい。
食べすぎ飲みすぎも、
マクロビオティックや運動で健康に気をつけるのも、どちらもいい。
違和感もなく、善悪の評価もなく、合う合わないもなく。
清濁あわせ持つまるごとの自分が、そのまま許されている。
その感覚を味わっているだけ。
心地よさに正直でいる
私は決して、精神性が高くなったとか、悟りに近づいたとか、というわけではない。
ただ、日々、その一瞬を、その時の身体感覚を、空白でまんま感じていたいだけ。
それが、とんでもなく心地いいから。
それだけ。
そこから先は、
それぞれの望みに委ねればいい。
──今の私を表すなら、
力を抜いているのに、どこか凛としている𓂃𓈒𓏸
そんな感じ。
🌱私のライフワークとして、
Web5時代の
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