ふと、思い出したんです。
Twitter(いまのX)が始まった頃、
「140文字以内で伝える」っていう、あの潔いルール。
私はあれが、たまらなく好きでした。
言いたいことがあふれていても、
140文字に収めるためには、
言葉を削り、選び、整えていく必要がありました。
──まるで、俳句や短歌を詠むように。
そこには
知性やセンス、そして“間”の美学があったと思うのです。
◾️ 削ぎ落とすことで、むしろ豊かになる表現
たった140文字でも、
人の心に深く響く投稿が、たくさんありました。
それは、
言葉に込められた熱量や、
あえて語りすぎないことで生まれる「余白の美しさ」だったように思います。
「全部を伝えない」という選択。
それは受け取る側の想像力を信じることであり、
同時に、届ける側の品格でもあったのかもしれません。
◾️ 表現の自由が増えた今、感じていること
いまでは、有料版にすれば最大5,000文字まで書けたり、
長時間の動画も投稿できたりします。
もちろん、それによって広がった可能性もあるけれど──
同時に、
“言葉を選ぶ力”は弱くなっていないかな、って。
「とにかく長く」
「情報を全部載せよう」
という流れの中で、
かつてのような静かなインテリジェンスや、
余韻を残すような投稿に、
なかなか出会えなくなった気がします。
私はこれからも無料版で。
◾️ あえて、限られた言葉で伝えてみたい
だから私は、いま一度、
言葉の“余白”を大切にしてみたいと思うのです。
noteでも、Xでも。
制限がないからこそ、
あえて「制限」を自分で設けることで、
もっと深く言葉と向き合えるような気がしています。
少ない言葉で、どこまで伝えられるか。
その問いこそが、
私たちの表現を研ぎ澄ませてくれるのではないでしょうか。
◾️ 言葉が生まれる“場所”と、これからの私たち
AIが言葉を作り出し、
誰もが「何でもできる」時代になりました。
でも、本当に大切な言葉って、
決して多くはなくて。
むしろ、
“選び抜かれた少数”の中にこそ、宿るような気がします。
未来に向けて、
私たちはどんな言葉を、
どんな形で残していくのか。
今この瞬間のSNSという“表現の場”で、
もう一度、
自分自身の「言葉との距離感」を見つめ直してみたい。
そんなふうに、静かに感じているのです。
🌿世界観に少しでも共鳴した方へ🌿
私が実際にどう生き、どう循環を生み出しているのか──
その具体的な実践は、ブログTOPページからご覧いただけます。
→ https://happyflow.space/
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