「がんばらなきゃ、もらえない」
「役に立たなきゃ、存在しちゃいけない」
そんな思い込みが、知らぬ間に心の奥深くまで染み込んでいませんか?
何かを成し遂げたときだけ自分にOKを出せたり、
誰かに「すごいね」と言われたときだけ、自分の居場所を感じられたり。
本当は、ただ、「ここにいるだけでいい」と、誰かに、
そして自分に言ってほしかったのかもしれません。
「存在給」という考え方との出会い
そんな私に、ある日すっと届いた言葉があります。
「存在給」──ただ存在しているだけで価値があり、報酬を受け取ってもいい
心理カウンセラー心屋仁之助さんが提唱するこの考え方は、まるで心の扉をそっと開けてくれるようでした。
その瞬間、胸の奥で何かがほどけていく感覚。
「ああ、そうだったんだ。ずっとこうでいいって思っていたんだ」
ささやかだけれど深い、その願いに触れた瞬間でした。
「お金」の感性と存在給
振り返れば、私の「お金」に対する感性や在り方は、この考え方から少しずつ形作られてきました。
以前の私は、お金を「誰かの役に立った分だけもらえるもの」と考えていました。
それが“正しい形”だと信じていたし、そうでなければ受け取ってはいけない気さえしていました。
でも今の私は、お金は、
「感謝」「つながり」「共鳴」「共感」の循環として、自然に受け取れるもの‥と感じるようになっています。
それはまさに、Web5時代の価値の循環型経済の感覚です。
Web5がもたらす「自分の家」という居場所
Web5とは、インターネットの中に“自分の家”を持つようなものです。
そこではブロックチェーンやDID(分散型ID)といった仕組みを土台にして、鍵も財産も自分で管理できるようになります。
いままでのWebは「誰かの土地を間借りして暮らす」ような状態でした。
SNSやプラットフォームに依存して、そこから追い出されれば居場所も失う。
でもWeb5では、自分の居場所がちゃんと自分のものとしてずっと存在し、そこに人が訪れたり、価値がめぐったりする。そんなイメージです。
Web2・Web3からの大きな違い
従来のWeb2やWeb3では、大きなプラットフォームの「建物」に入居して、そこで活動するしかありませんでした。
けれどWeb5では、自分の“家”を拠点にして、自分らしい価値をそのまま表現できる。
作品や知識、体験や活動──さらには「ただ存在していること」さえも、自分の家から外へと光を放つように、価値として循環していきます。
だからこそ、Web5は「存在給」の考え方が実際の社会に溶け込みやすい土台になるのです。
awabotaに見る「存在給」の実装
私が関わっているawabotaというコミュニティでは、
「与える人/受け取る人」といった境界がなく、ただその場にいるだけで、誰かの支えになったり、安心感を生み出したりしています。
そして、知識や経験をシェアすることも、静かに共にいることも、どちらも同じように価値として受け入れられます。
実は、日本で「Web5の仕組みを実際に設計し、日常レベルで回している場」は、ほとんど存在しません。
awabota はその数少ない──いや、事実上唯一といえる先駆けのコミュニティ。
“存在そのもの”が価値として循環する個人経済圏を、未来の話ではなく「いま体験できるリアル」として実装しています。
私が願っている、60代からの”魂の遊び時間”を実現することができる、理想のフィールドだと思っています。
遊ぶように、愛を分かち合うように──自然に「存在給」を形にしてくれる場。
「存在給」の本質とWeb5の未来
自分が何かを「していない時間」も、何かを「生み出していない瞬間」も、
そのままで充分に尊く、豊かさに値する──それが「存在給」の本質。
自分という存在に、あたたかい光を当ててくれる考え方です。
もし世界がこの考えを当たり前のように受け入れはじめたら…
がんばることも、休むことも、存在することも、すべてが同じように大切にされる世界になるでしょう。
そして、それはもうWeb5として始まっています。
“存在そのもの”が価値として循環するWeb5──それこそが「存在給」の世界なのです𓂃𓈒𓏸
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🌿Web5世界観に少しでも共鳴された方へ🌿
私が実際にどう循環を生み出しているのか──
その具体的な実践は、ブログTOPページからご覧いただけます。
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