いくつになっても”女”として生きる

エッセイ 〜波のまにまに〜

60代になって、はっきりと思うようになりました。

もう、「何かにならなきゃ」とか、「ちゃんとしていなきゃ」は、終わり。

肩書きも、役割も、評価も。

もちろん、それまでの自分を否定するわけではありません。
ただ、これから先の人生は——

  • 「どこまで自由になれるか」
  • 「どこまで素の自分を表現できるか」
  • 「どれだけ愛と美に遊べるか」

そんな、“魂の遊び”の時間にしたいと思っているのです。

そしてそのなかでも、私はやっぱり、
「いくつになっても”女”として生きたい」と願っています。

それは誰かに見せるためでも、評価されたいからでもない。
ただ、私が“私である”ことを、もっと愛してあげたいから。


愛されてきた記憶と、愛してきた日々

自慢ではありませんが、いや自慢ですが(笑)
20代、30代は、いつも誰かに愛されていました。

恋をして、恋をされて、いろんな感情を味わって。
そのすべてが、女としての私を育ててくれたのだと思います。

40代では、パートナーシップの形を超えて、未婚で出産して母となりました。

その後は、ネットショップやライターの在宅ワークで、息子を育てる毎日。
夢中で走って、気づけば年齢を重ねていた——そんな感覚でした。

息子が海外に旅立ったとき、
そのタイミングで、私は新たな挑戦を選びました。
ファンドの海外法人を立ち上げ、トレーダーとライターという、まったく異なる二つの顔で生き始めたのです。

どれも大切な時間で、学びと成長に満ちていた。

だけど、そんな日々の中でずっと心にあったのは、
「私は、いつまでも女でいたい」という想いでした。


「女であること」は、終わらない

人は、ともすると年齢に「役割」を当てはめたくなるものです。

◯歳になったら、こうあるべき。
この歳でこんな服はおかしい、
この歳で恋なんて、滑稽だ―

でもね、それって誰が決めたのでしょう。
そんな枠に、私たちの命の輝きを閉じ込める必要は、もうないと思うのです。

年齢を重ねたからこそ見える美しさ、
たどってきた道があるからこその色気、
そして、凛と咲くような“女らしさ”は、
どんな時よりも、いまの私たちの中にある。
熟成された赤ワインのように‥

余談ですが、個人的にワインが大好きです(^.^)


美しさとは、「自分を愛する力」

私はこれからの人生を、
「もっと私らしく」生きる時間にしたいと思っています。

シンプルに、ナチュラルに、ミニマルに。
そして、自由に。

外見を飾るという意味ではなく、
“女としての美しさ”とは、「自分を愛する力」だと、私は思います。

たとえば、朝の鏡の前で
「今日もいい感じ!」
「今日もチャーミング!」
と自分に言えること。

ふと心が沈む日も、自分に寄り添ってあげられること。

誰かに何かを証明しなくても、
ただ、ここにいる“わたし”を抱きしめるように生きていけること。

それが、大人の女性としての豊かさであり、
なにより、人生の深みなのではないでしょうか。


いま、女として生きたいあなたへ

もし、この記事を読んでくださっているあなたが、
ふと心のどこかで——

「もう女として見られることはないのかな」
「恋やときめきなんて、私にはもう関係ないのかも」

そんなふうに思ったことがあるなら、
そのたびに、どうか思い出してほしいのです。

女は、素晴らしい

そのことを、あなた自身が忘れないでいてほしい。

そして、人生の“これから”に、
自由と美と愛のエッセンスを、もう一度取り戻してほしいのです。

いくつになっても、
女として咲いていく人生は、きっと、とても美しいから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました